思わず...
■6/12(金) :診察
右後ろ足太もも部に気になるポッチン発見
■6/15(月) :手術
腺癌腫瘍摘出 + 犬歯2本抜歯と歯根の骨を削る
■7/3(金) :抗がん剤投与
投与直後、血色素尿が出てアナフィラキシーショック
抗がん剤投与の継続を断念
<ここまでは前回のブログに書いた>
タマはオペ後から食欲が落ちたためモグモグ作戦開始!
■7/28(木) :半導体レーザーで転移部取る処置
手術した右後ろ足太もも上部にポッチンを再発見
転移の可能性があるため今のうちに取る判断で
色素注入し半導体レーザー照射し壊死させて腫瘍を脱落させる


※8/5(水) :みぅ捕獲器で保護
※8/13(木) :ローズ肥満細胞腫3回目の顎〜首手術+犬歯2本の抜歯

■8/15(土) :壊死部の脱落
レーザー処置で壊死した転移部が、かさぶたとなって取れたため
その跡の確認の診察
腫瘍はキレイに取れていて一安心
※8/17(月) :にゃん太事件勃発、連日病院へ行く

■8/25(火) :液体窒素で転移部取る処置
右前足の付け根付近にポッチンを再々発見
前回同様に転移とみて間違いなく、大きさが小さいため
液体窒素-200℃で焼き脱落させる

※一緒にローズの抜糸
(後日の病理結果:肥満細胞腫で悪性度は低く、腫瘍は全て切除された)
当初からタマのアポクリン腺癌は悪性度が高く、とても厄介で
転移の速度も進行も早いと獣医に説明を受けていました。
抗がん剤の種類も2つしかなく
これがタマにとってアレルギー反応が出て使えなくなったから・・
あとは、免疫力を上げてタマの力にかけるしかない。
でも・・不思議となんとかなるんじゃないか。。と思う自分がいて
「よぉ〜〜し!
免疫力上げるようにしてご飯もいっぱい食べようっ!!」
モグモグ作戦だぞっ!
食欲を失ってるタマに
ありとあらゆる介護食や高カロリー食を買いまくり試した。。
しかし、元々偏食気味なタマにとっては
新しい味はなかなか定着せず・・
結局、辿り着いたのは猫用のご飯ではなく
無添加で味が付いてない人用の食材に
サプリなどを足して食べていました。
それが何だったのかは・・
獣医でも見解が真逆だったりするのでここでは控えます。
ただ、大好きな刺身や鶏肉はもちろん!その一つです。
そして、一番大事にしたのは・・
「本人が美味しいと思って食べるもの」
「うまいっっ♪ うまいっっ!!」
人間もそうだけど・・
免疫力はストレスがかかることで下がるものでもある。
そして免疫力は生きる力とも直結してるから
その力を生む原動力は「楽しい!美味しい!嬉しい!」
そういう気持ちがとっても大事だと思います。
だからこそ、管理された病院ではなく暮らし慣れた我が家の方がいいわけで。。
でも・・購入しまくった猫用フードを
「いらない」「これイヤ」「あれイヤ」っと食べなくなり
体重が減っていくのを目の当たりにすると
強制給餌をするか・・とても悩みました。
しかし・・タマにそれが可能かどうか。。
猫の場合には、人間と違って、イヤイヤでもそれが出来る子と
意固地に頑として拒絶する子がいます。
もちろん、飼い主の技術の上手下手も影響するとは思いますが・・
タマの性格が手に取るように分かるだけに、無理矢理やることで心を閉ざし
全てを拒絶され、互いにとってご飯がストレスになる。
薬ももちろん、抱っこすることさえも逃げるようになる。
そんなタマみたいにイジイジするタイプは
薬でも一大事なのに、食べたくないものを食べさせられること
「食べることは生きること」だからこそ
生きることを頑固に拒否するようになる。
この頃から、なぜか?暗いクローゼットに籠ることが増えてたことも
強制給餌の気持ちを躊躇させた要因。
じゃぁ。。どうするか。。
たとえ少しずつでも必要な栄養を摂取させながら
「うみゃいっ♪」
食欲がふっと湧くようなご飯をあげるようにしようと考えました。
そして、あとは・・
皮膚の転移を見逃さないで見つけること。
小さい小さいポッチン。。
乳首と間違えるほど 小さいポッチン。。
コレを見つけたら大きくなる前に、処置して脱落させ腫瘍を取る
この皮膚の転移が、次々出来ると聞いていたからこそ
毎日、体を触って探す!
そうして発見した二箇所の腫瘍は、本人の痛みなどの負担が無い
人間の美容技術の応用みたいなレーザー治療や液体窒素で取ったので
この調子で、次々潰していけば・・きっとなんとかなる。。
そう信じて、疑いませんでした。
「体の内部にさえ転移しなければ」 大丈夫。。
内部にさえできなければ。。
抗がん剤が出来なくなったタマにとって
内部に出来てしまったら。。治療の術が無い。
15歳という年齢からも
手術したばかりだから、再手術は簡単な事ではない。。
腎臓機能は年齢のわりに数値が良かったからこそ
一度は手術できたけど。
この先は麻酔の負担もあるから明らかに効果が見いだせなければ
選択肢には入らなくなる。
そんなこの癌の現実も獣医から聞いていたので
そうではない未来だけを見つめて
今自分に出来る唯一の事
「ウマウマ作戦&ポッチン探し」
これに全てをかけて朝から晩まで・・必死に。。
タマに気持ちを置きながら一日がまわっていきました。
朝の起き立ては食欲があるので
そのタイミングを有効に使って液体系の食事と免疫UPの様々なサプリ
一度に食べてくれる量が、ほんのちょびっとなので
2〜3時間おきに小刻みにあげていく。。
「ウマウマだよぉ〜っ!」
「鮮度バツグンマグロちゃん買ってきたよぉ〜っ!」
さっき食べたものでも 次は食べない
でも翌日は食べる
コロコロ気分が変わって用意したものが
次々 却下されても
それはきっと、体が今欲してるものを教えてくれてるんだと思うようにした。
今は・・刺身の栄養素が必要
今は・・鶏肉が必要・・ってにゃ。。
赤身がいい 白身がいい
生シラスや焼き魚、煮魚
味は付けずに、フリーズドライふりかけで香りを立たせて食欲上げたり・・
水は極力、薄めた「栄養価の高いみぅの粉ミルク」を飲ませるようにして。。
食べたいものがハマるとガツガツっと食いつくけど
ムカムカするのか?手術した歯ぐきが違和感なのか?
すぐにピタっと食べなくなる。。
なので・・
一日に何度も「ちょい食い」
この一口が明日に繋がる。。
一口でも食べてっ!!
そして最初は毎日体重を計っていたけれど
それに一喜一憂して追いつめられる精神状態になってる自分に気付き
これはマイナスだと思ってからは
数字じゃない!タマをしっかり見つめよう!
表情、毛艶、ご機嫌か、不機嫌か・・
そしてポッチンは無いか。。
そんな日々が3ヶ月ほど続いた・・
タマの体重が落ちていても
タマ自身が痛みや苦しみなどの辛そうな症状が無く安定していたので
このままいけば・・癌も立ち去ってくれる。。
そう疑わなかった。。
■9/4(金) 夕方:病院へ
パソ脇の定番のFAX枕で寝ていた時のこと・・
横目に入ってきたのが胸の上下の大きな動き。
開口呼吸はしていないものの、気になりすぐ病院へ連れて行った。。
レントゲンで肺に水が溜まってることがわかり即、酸素室へ。
そして・・
「両肺の全域あちこち転移がある」
「右腕の肩が盛り上がっているコレは転移だね」
「胸水が溜まってるのを抜かないと、どんどん苦しくなるだけ」
「水を抜いてあげたいけど麻酔をかけたら意識が戻るかは五分五分」
「どうする?」
えっ・・なに?・・・
どうするって、突然言われても・・
「一度帰ってご主人と相談して 水を抜くなら明日にする?」
・・・・・。
あの・・一度帰るなら
酸素室があった方がいいですよね?レンタルできるのありますか?
「今は貸してて 無くて・・。。
あっ!もしかしたら、その患者さん他から借りるかもって言ってたから聞いてみる?」
『お願いしますっっ!!』
「すぐに!持って来てくれることになったよっ!!待ってて!」
そうして・・待つ間・・
酸素室に入ってるタマに声をかけながら・・
だんだん、頭が覚めてきた。。
このままタマを連れて帰っても タマは苦しさが続くだけ。
水を抜かなければ、ずっと苦しいままの状態で。。いずれ看取ることになる。
ここで、一か八か水を抜いたら・・
タマはラクになる。。
でも、もしも・・目を覚まさなかったら・・
それは、眠ったまま苦しまずに逝けるのだから 安楽死と同じ。
タマをラクに逝かせてあげれるってことじゃないか。。
でも今、この場で別れを覚悟するの?・・したくない。
もっと時間が欲しい。
だけど、それは自分のエゴ。
タマにとって 何が ベストなのか。。
それを考えなくてどうするっ!!
もし一度帰って、明日また来れば・・
一晩じっくりお別れができる。。
だけど、その間もずっとタマを苦しませるだけ。
自問自答しながら・・
旦那ちゃまに電話してた。
それは気持ちが固まってから電話したというより・・
状況を説明していきながら 一つずつ整理ができ
決断している自分が居たのだった。。
そして 旦那ちゃまも気持ちは同じだった。。
『今すぐ来て!!』
普段使わないタクシーを調べ飛び乗った 旦那ちゃま。
獣医にもすぐこの気持ちを伝え頼んだ・・
「今 抜いてください!」
「分かった。 すぐやれるけど、ご主人待たなくて大丈夫??」
『いいです! タマを一刻も早くラクにしてあげてください。主人もそう言うはずです。』
そうして・・
診察時間も過ぎていた中で準備を始めてくれた。。
その準備する・・ほんの数分の間。。
タマと最期のお別れを覚悟して
なで、なで、なで続け・・話しかけた。。
「大丈夫だよ。大丈夫だよ。。ラクになるからね。
タマ・・大丈夫だからね。。
ずっと一緒。これからもずっと一緒だよ。。大丈夫・・そばにいるから。」
暴れないよう麻酔処置の間も「大丈夫だよ」と声かけ続けながら・・
あっという間に眠ったタマ。。。
祈る気持ちで待合室で待つ
旦那ちゃまも到着
長く感じる時が流れて・・
無事にっっ!
タマは目覚めてくれたっ!!
もうぅ・・十分だっ!
何も望まない。。
戻ってきてくれただけで いい。。
タマお家に帰ろうっ!
麻酔から覚めたタマは・・
今まで決して我ら以外の人を絶対うけつけることはなかったのに
獣医たちに嬉しそうな表情で「ぁぁ〜〜ラクになったにゃぁ〜っ♫」っと
スリスリする姿にびっくりっ!
他の人にこんなことしたのはタマの生涯初っ!
そんなタマに安堵しながら
今後も溜まり続ける肺の水を自宅で抜けるように
肺に針を留置したままであること、水の抜き方の説明を受けて帰宅した。
もちろん。。酸素室も借りてきましたが・・
すっかり居住スペースと化してたベッドの上に置いても・・
どうもイヤで・・顔を出す。。あひゃひゃ。。
実は直前まで借りてた人のタバコ臭がすさまじく。。
囲いのビニール素材に吸着したタバコ臭が中で充満してたことが
顔を出しちゃう理由だったかもしれにゃい。。
どうしよう。。
とっさに!さっき見たばかりの麻酔のシーンが浮かんできて
そうだっ!!ラッパ作ろうっ!
管に直接クリアファイルで作ったラッパくっつけて
呼吸器完成ぃ〜〜っ!にゃははっ!
お腹も空いたタマは
ご飯もモグモグ食べて一安心っ!
そうして・・
この晩からタマとの濃密な時間が訪れた。。
タマが寝付くまで一緒に添い寝。。
手を胸に置いて・・じわぁ〜〜っと温めてあげると
スヤスヤ寝始める。。
でも1時間もしないうちに寝返りを打つ
するとラッパの位置も移動。
これの繰り返し。。
この状況でもトイレは自分で行きたがり
ペットシーツをいくら敷き詰めても
絶対そこではしない。
ならばとベッドの周りに飛び降りても転ばないよう
布団を敷いたり階段状にして
部屋中をタマのベッド化状態に!
実はタマの癌手術から4ヶ月あまり
ずっとこのベッドを居住にすることが多かったタマに
旦那ちゃまは遠慮してリビングで寝ていた。
でも、この日から布団を敷いてみんなで一緒に寝て
ご飯もここで食べるようにした。
みんな!いつもタマと一緒!
タマが独りになることなく
ずっと、どちらか必ず傍に居る
正直この時ほど・・
365日家で仕事する生活スタイルを
ありがたいと思ったことはない。。
隣りの仕事部屋からも
常に一望できるタマ看護部屋
熟睡中を狙って仕事を片付ける。。
24時間体勢のスペシャルICU
自分も一緒にタマとうつらうつら寝ちゃっても
タマの手を握りながら添い寝。。
タマに何かがあったらすぐに飛び起きられる体勢で
朝から晩までタマを感じ
タマと密着した幸せな時がゆるゆると流れていった。
タマは15年前に我が家で生まれてからずっと
母ちゃんと暮らしてきて
母ちゃんとくっついてるか
もしくは膝上が指定席
そして夜寝る時は、布団に入ってきて
横寝の私のお腹のところで丸くなって朝まで一緒に寝る
それがタマのライフスタイル。。。
タマの完全看護が始まって3日目頃・・
口元に常に添えていたラッパをあまり必要としなくなり・・
穏やかで落ち着いた状況が訪れた。
ダイニングの方へ来てみたり・・
最近愛用だった パソ隣りのFAX枕で寝てみたり。。
胸水を一日2回抜いてたことも良かったのかもしれない。
緊張感が漂っていた我が家が
この状況に慣れ始めてきた頃・・
真夜中になると、なぜか?
リビングの床に行って寝たがるようになった。。
しょうがなく・・こっちも一緒に床に横たわり
いつものように 胸に手をあてる
「手をあてる」
これってじんわりと温かくなってスヤスヤ眠るだけじゃなく
癌が悪さしないでくれるような気もして
そして癌よ消えてくれ・・
そんな祈りにも似た気持ちを注入しながら
「大丈夫 傍にいるから」とささやきながら
手のひらを当て続けた。
手のひらって・・愛や優しさが伝わるものだと思う。
そうして・・
呼吸器を必要としなくなって
夜は床で一緒に寝るようになった床寝2日目の・・
9月9日の早朝5時・・
久々に玄関スペースへやって来て
ここで横になった。
すると・・
この数日、どちらかといえばタマを遠巻きに見てたにゃん太母ちゃんが
珍しくトコトコとやって来て タマを舐めた。
「大丈夫か?」
「母ちゃん ありがと」
まるでそう言ってるようなふたりだった。。
この玄関スペースはタマの大好きな場所
春先から朝に陽が差し込む場所で
外を眺めながら日向ぼっこが朝の日課だった。。
そんな大好きな場所で外が見えるよう床から窓際へ移動させた。
久々に見た外の景色に。嬉しそうなタマ。
病院から借りてた術後服も前夜交換して気分も一心!
肺の水抜きがしやすい背中ファスナータイプを探しゲットして
伸縮性のある柔らかな素材でいい感じになったにゃっ♫
まぁ・・サイズがちょっとキツくてダーツ部分とか切って広げたけれど・・あひゃひゃ。。
そしてこの日も朝9時に
毎日2回おこなってた肺の水抜きをした。
が・・いつものようにやっても
なぜか?空気がスパスパ抜けてくる。。
シリンジが もしかしたら壊れてるのかも?っと
換えてみるも、結果は同じ。
獣医から繊細な針だから動くとズレて外れることもある
もし、外れた時は再度麻酔で付けることはもう無理だからね。外れないようにね。。
っと言われた事を思い出し、抜けたのかもしれないっ!・・っと慌てて電話すると
「今すぐ連れてきてっ!!」
明らかに覚悟しなければならない尋常じゃない言い方に
旦那ちゃまとすぐに車に飛び乗った。
しかし助手席で抱っこするタマの様子からは
あまり苦しそうな感じはうけず
「大丈夫。きっと帰ってこれる。絶対帰ってこれる。」
そんな確信めいた感覚があって
運転する旦那ちゃまにそう呟きながら二人で心を落ち着かせ病院へ到着。
すぐにみてもらうと・・
「大丈夫そうだね!ほらちゃんと水抜けるよ。ちょっと針の場所がズレてたのかも。
肺気胸かと心配したけど、その場合にはもっと・・こういう風に・・・・・」っと説明され
とりあえず、状況が変わらないことが分かり
まだ大丈夫そうであることも言われて
ホッとして帰宅した。。
帰宅後もタマは穏やかな表情でいつものベッドで寝始めた。
実は、少し前から、タバコ臭のしない酸素室をレンタルしようと考え始めていた。
闘病が長くなれば、なおさら、病院から仮で借りてるものは返却した方がいい。
そこで病院から貰ってたパンフのレンタル会社へ電話すると・・
ラッキーにもすぐに持ってきてもらえることになった。
そうして2時間後・・
立派な酸素室が到着っっ!
アクリル製で窓もいっぱいあって
さらにはっ!
酸素吸入器専用の酸素濃度が高い空気が出る管まで付属されてて
にゃんとっ!
すんばらしいぃ〜っ!
タマぁ〜〜!
これで快適だじょぉ〜〜っ♫
もしもこの部屋に入りたくない子の場合は
コタツみたいにテーブルや椅子に布をかけて
そこに管を入れる使い方でもかなり違いますよ!っと言われ・・
まずはさっそく!
酸素吸入器専用の管を使ってみることに・・
すると・・
あれ???空気出てない??壊れてる??
無風でエアが出てる感じがしない。
慌てて酸素濃度計をあててみると
みるみる濃度が上昇!
風が出てる感じがないのに濃度が高い管なんだと分かった!
今まで部屋用の管を使っていて
「風が出てまぁ〜っすっ!」感が満載でぇ〜っ!
それとまるで別ものにびっくりっ!
あひゃひゃ。
これは借りてよかったっ!
苦しくなった時もこれならバッチリっ!!
目の前がぱぁ〜っと明るくなったような
朝のショックから気持ちが一転した!
実は6日前、肺の転移が発覚した時に獣医から、
肺にいったら最期はとても苦しみ、見てるのが辛くなるから。。
その時は、いつでも・・夜中でも・・連れてきていいよ。。
そう言われていた。
それは「眠らせる=安楽死」を意味する。
だから・・
少しでもタマがラクな状態でいられること。。
それが叶うアイテムを手にできて
ほんっと一瞬!目の前がバラ色になった気がした。
タマよかった。。これで大丈夫。。
そうして・・
病院から帰ってから、この呼吸器を口元に置き2時間ほど熟睡したタマは・・
夕方目覚めた。。
すると胸の振幅が大きくなってきたので
いつものように、呼吸器をあて、手を胸にあてて・・添い寝をした。
だけど、いつもなら・・
だんだんと落ち着いて穏やかに寝始めるのに。。
眠れない。。
むろん、新しい呼吸器をあてて酸素は万全なのに・・
眠れない。。
その後もずっと添い寝しながら「大丈夫だよ・・ラクになるよ」と続けたが・・
1時間ほど経っても状況は変わらず・・
この時、初めて・・「今夜が山かもしれない」 そう頭をよぎった。。
これが夕方の17時頃。。
旦那ちゃまに 今日は早めにみぅのお世話に行ってきてと・・
もしも、何かあったら電話するから。。そう言い、
twで教えてもらった 新たな水挿しを手にお世話へ行った。
その後も・・タマの状態は一向に変わらず・・
ただ、ただ・・
添い寝して、酸素を口元に添えて
「タマ・・大丈夫だよ。 傍にいるから。。ずっと傍にいるから。大丈夫だよ。安心して」
幾度も幾度も、声をかけ続けた。
すると・・
突然ヒョコっと立ち上がった。
「オシッコ行きたいの?」
コケられても困るので、抱っこしてトイレに連れて行った。
すると・・支えずに ちゃんと オチッコをした
トイレもちゃんとして まだ大丈夫かもしれない。。
戻って、また添い寝し続けた。。
しかし呼吸は穏やかにならず眠れないタマ。。
とっさに。。
目の前にある ピアノの蓋を開けて
ほんのワンフレーズ。。
不思議とタマに聴かせたい衝動にかられ弾いた
ショパンのワルツ♫
弾きながら、ふっと見るとタマがこっちを見てる
すぐに戻ってまた、添い寝をした。。
胸に手をあて「大丈夫。傍にいるよ。安心して。。」
何度言ったかわからないくらい。。
今タマにできることは これしかなかった。。
タマを安心させてあげること。
一緒に居てあげること。
もう。。旦那ちゃまに電話しよう・・そう思い
「戻ってきて」と伝えた。
そうして・・19時半を過ぎた頃から
明らかに息が上がってきて・・
タマを抱きしめながら呼吸器を口元にあて続け、
少しでもラクに、ラクにと・・
あぁ・・この呼吸器を借りて良かった。。本当によかった。。
「タマ!大丈夫だよ。。一緒に居るから 大丈夫だよ。」
20時を回ったころ・・
タマの身体が突然!激しく飛び跳ねた。
抱きしめる腕から バンっ!という爆音がしたように感じるほど
ものスゴイ勢いで飛び出て
飛び出たタマをまたギュッと引き戻して抱きしめて・・
「大丈夫だよ、傍にいるよ!」の言葉は・・
変わっていた。。
「もうおやすみ。。ゆっくりおやすみ。。」
「おやすみ・・タマっっ!! もういいよ。ゆっくりおやすみ。。」
「ずっと、傍に居るから。。安心しておやすみ。」
あとで、獣医に聞いてわかったが・・
これは心臓発作だっただろうと。。
その猛烈な勢いで飛び出る発作が3回。。
そうして・・タマは眠りについた。。
タマを思いっきり抱きしめたまま・・逝った。
これ以上ないってくらい抱きしめてた。
生きてる時なら嫌がるくらいに。。抱きしめてた。
まるで・・
タマと一つになったような感覚
苦しい時間を一緒に添い遂げ、
タマの苦しみを一緒にわかち合い受け止める。
そうして腕の中で、一つになった。。そんな感覚が残ったせいなのか・・
不思議と満足感に似た味わったことのない気持ちになっていた。
苦しい瞬間をわかつこと。
タマの苦しみを わかち合えたこと。。
わかち合えてあげることができたこと。。
あぁ・・よかった。。
それが出来る事は きっとそう多くはないのだと思う。
タマも自分も。それはとても幸せなことだったと思う。
「生」から「死」へ移行する時は
時間の多少はあれど苦しいもの。
最期の瞬間は・・
人間ならば病院で点滴で管理され痛みを取り除きながらその多くは苦しまずに逝ける時代。
しかし、犬猫たちの多くは そうではない。。
外で暮らす猫たちは、独ぼっちで寂しく苦しく旅立つ。
運良く家猫となった子達でも、独ぼっちで逝かせたくないから病院ではなく
大好きな家で、家族がいて、仲間たちがいて・・そして腕の中で旅立たせたい。。
そう願うもの。。
これが叶わなかった時の苦しみは
深い後悔となって残り、それで苦しむ人が本当に多い。
実際、身近にも苦しんでる友達がいる。
きっと、タマを抱いて送れなかったら・・
その後悔に自分も苦しんでたに違いない。。
その友の悲しみや苦しみに そっと寄り添って
気持ちを寄せ合うことしかできないけれど
愛する者を失った共通の痛みは
みんな同じ。。
絶望的な悲しみ。
どうにもならない極限の寂しさ。
代わりはどこにも居なくて
一生 探し続けても代わりは居なくて
穴の空いた部分は 決して埋まらず
その子の穴がしっかり残る。
その傷口がかさぶたになり、修復してなだらかになっても
決して塞がることはない穴。。
タマの穴、にゃん太の穴、ローズの穴と・・
これからも穴は空いていく。
狂おしいほど 愛おしい存在を失った絶望的な寂しさは
どうしようもないけれど、
この全てを含めて
愛するということ。。
まるで修行のようだにゃ。。
この日の真夜中。
タマのICUだったベッドが本来の役目に戻った。
そうして久々に布団に入った瞬間・・
苦しかった最期の事が思い出され涙がまたこぼれ・・
タマごめん。。苦しませてごめん。。そう呟いてた。
その時、旦那ちゃまが言った。
「タマの一生15年のうちの12分じゃないか。」
最後の苦しい時間は12分だった。。
声をかけ続け、苦しい発作が 一刻も早く終わってほしい。。
早く眠らせてあげたい。。
そう強く願って。。
「もういいよ おやすみっ!!」と あの時ふたりで叫んでいた。
タマの苦しそうな表情は
今も脳裏に焼き付いてるけれど
それを目にしたのは
発作によって飛び出た瞬間の3回だけ。
ずっと抱きしめていたことで顔が見え続けてたわけじゃないから
その全てを見続けてた旦那ちゃまの方が
もっと、辛かったに違いない。
今回、旦那ちゃまはずっと、知らぬ間に沢山の写真や動画を残してくれていた。
残しておかなければ、後悔するかもしれない。
使う使わないじゃなくて、この瞬間は二度と撮ることはできないもの
もし後でこれを見ることがなかったとしても、それはこの時には判断ができるものではない。
使命感のような何かに突き動かされて撮っていた。
言葉だけでは伝わらないものが
おかげで伝えることができた。
■タマが眠りについてからのこと
タマをキレイなまま送るために
部屋のエアコンをガンガンに効かせて
タマのお気に入りの爪研ぎ段ボール箱を棺にして入れた。
漠然と冷やさなければいけないことは知ってたものの
経験が無い。。
でも!釣った魚を保存する時ときっと同じ!
釣りのノウハウがあるじゃんっ!
魚は最初に内蔵が痛むので
ここをキッチリ固まるくらいに冷やせば鮮度がかなり保たれる。
ドライアイスは無かったから
タマのお腹や脇をヒエヒエ保冷剤でいっぱいまとわせ
空気の層があると溶けやすいから
タオルもぎゅぅ〜っと詰めた。
そうして箱ごと大きなクーラーBOXに入れて
隙間に2Lペットボトル氷を入れて
蓋はずっと開けていた。
本来クーラーBOXは蓋を締めなければ保冷力は無いに等しい!
でも、タマが息苦しそうな気がして締めたく無かった。
そこで、1日2回保冷剤の交換をしてみた。
すると、保冷状態が良かったせいか?
バッチリ保冷が効いてくれて保冷剤はほとんど溶けることなく
タマはタマのいい香りのままでいてくれた。
さらに、オチリの穴から液などが出て来るはずなので
ここにキッチンペーパーを丸めてはさんでいたけれど・・
最後まで一滴も何も出てこなかった。。
きっと、これは・・
冷やしていた効果もあるけれど
タマが最後にちゃんとオシッコをして
出すもの全部出してくれたからに違いにゃい。。
えらいぞっっ!!タマっっ!!
すげぇ〜ぞ!タマっっ!!
生まれてから・・一度たりとも粗相したことがなかったタマ。
マーキングもしたことが無いから
本当に最後まで、ずっとトイレでしてくれた。。
猫って人間なんかより断然すごいじゃんっっ!!
きっとそれは本能だと思うけど
プライドある生き物
誇り高きヤツ!
甘ったれで小心者でビビリマンで・・
ずっとお子ちゃま性格で
喜怒哀楽が表情に出やすいタマだった。。
そんなタマが・・
最後はちゃんと猫として立派に旅立った。。
タマっ!大人じゃんっ!!
さて・・
火葬はどうする?
何も考えていなかったから
翌日、業者を調べ始めた。
近くにペット専用のところがあることは
なんとなく知っていたので知人に聞き
まずは、そこへ電話するも。。
その対応がとても雑で まるで面倒な物のように扱う感じが気持ちを躊躇させた。
まだ暑かったから早い方がいい。。
さあ、どうする?
関東などでは家まで来てやってくれる業者もある事は知ってたけど
田舎だからそれは無いだろう。。
やっぱり、あそこにするしかないか。。
でもタマをあそこに預けたくない。。
どうしても諦めきれず、最後にもう一度調べた。
すると。。来てくれる業者が仙台にはあって
我が家もギリギリ範囲圏内であることが分かりっ!
速攻 モシモシぃ〜〜〜っ!
運良く、翌日は13時枠だけ空いていて
即!お願いした。
あと一日。。タマと居られる。。
この日は、ジャムの梱包で、
7ニャンズまーの里親みきちゃんが手伝いに来てくれて
タマにも会って泣いてくれた。
タマは闘病中も応援する人達からの贈り物に囲まれて元気をもらっていて・・
眠ってからも棺の周りは賑やかにっ!!
タマは最後まで寂しくなく過ごすことができた。
ジャムの梱包が終わってから・・
タマを囲み、やっぱりタマとご飯っ!
最後の晩もニッコリ穏やかに過ぎていった。。
■9月11日(金) 火葬当日。。
業者が来る2時間前になったら、タマと最期の時を過ごそう。。
そう決めて・・
急いで溜まりに溜まってた仕事を片付けて旦那ちゃまと一緒に